「巣鴨町」の版間の差分

出典: 路上文化遺産データベース
ナビゲーションに移動 検索に移動
 
(他の1人の利用者による、間の1版が非表示)
40行目: 40行目:
*2011年1月14日 [http://twitter.com/#!/kokutetsu1987/status/25833442725863424 再発見第一報]
*2011年1月14日 [http://twitter.com/#!/kokutetsu1987/status/25833442725863424 再発見第一報]
*2011年1月22日 残存していることを確認([[利用者:EkikaraManhole|駅からマンホール]])
*2011年1月22日 残存していることを確認([[利用者:EkikaraManhole|駅からマンホール]])
|}
====巣鴨3丁目====
巣鴨3丁目の私道に1枚残存している。
<gallery perrow="2" widths="140">
ファイル:巣鴨町丸蓋(巣鴨3丁目)・紋章.jpg|中央部分
ファイル:巣鴨町丸蓋(巣鴨3丁目)・全体.jpg|全景
</gallery>
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed"
!align="left" width="700"|確認記録
|-
|
*2012年8月21日にrzeka氏が最初の発見[http://photozou.jp/photo/show/650569/161661311]
*[http://rzeka.blog88.fc2.com/blog-entry-286.html マンホール・下水・暗渠 ~rzekaの都市観察]
*2013年5月4日に残存を確認[http://blogs.yahoo.co.jp/aqua01242000/archive/2013/05/12 馬明の路上文化遺産と投資のブログ])
|}
|}


60行目: 77行目:
*2010年12月4日 [http://plaza.rakuten.co.jp/kazuharukiyoko/diary/201012040000/ くるめっこ]
*2010年12月4日 [http://plaza.rakuten.co.jp/kazuharukiyoko/diary/201012040000/ くるめっこ]
*2010年12月18日 2枚残存していることを確認([http://blogs.yahoo.co.jp/scganishii/63503603.html どら焼き親父写真館])
*2010年12月18日 2枚残存していることを確認([http://blogs.yahoo.co.jp/scganishii/63503603.html どら焼き親父写真館])
*2018年02月10日 2枚とも生存を確認([[利用者:茶虎猫丸]])
|}
|}


==展示場所==
==展示場所==

2018年2月27日 (火) 17:09時点における最新版

巣鴨町
すがもまち
巣鴨町紋章
{{{画像}}}
英語名 {{{英語名}}}
略称 {{{略称}}}
設立 1889年(明治22年)4月1日
廃止 1932年(昭和7年)10月1日
現在の該当地域 豊島区の東部
現在の該当団体
(テンプレート)

巣鴨町は明治22年4月に発足し、昭和7年10月に東京市に編入されるまで存在した自治体。現在の豊島区の東部、地名では駒込のほぼ全域と巣鴨一丁目から三丁目、北大塚一丁目、南大塚一丁目および二丁目の大半の地域に相当する。

設置場所

巣鴨3丁目に角蓋が1枚、染井霊園内に名古屋市型地紋の丸蓋2枚残っている。


<googlemap version="0.9" lat="35.735122" lon="139.737124" zoom="15" scale="yes"> (K)35.734588, 139.7336 角蓋 35.736452, 139.736609 35.736857, 139.736886 縁石付き </googlemap>


巣鴨3丁目

巣鴨3-9付近に角蓋が1枚残っている。

確認記録

巣鴨3丁目

巣鴨3丁目の私道に1枚残存している。

確認記録


染井霊園

染井霊園内に名古屋市型地紋の蓋が2枚残っている。

確認記録

展示場所

蔵前水の館

蔵前水の館名古屋市型の蓋が1枚展示されている。


屋外にも巣鴨町のものと思われる燈孔蓋が展示されている。


虹の下水道館

虹の下水道館名古屋市型の蓋が1枚展示されている。


関連項目


外部リンク


執筆の途中です この項目「巣鴨町」は、調べものの参考にはなる可能性がありますが、まだ書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。