東京都水道局
東京都水道局の蓋には、何らかの形で東京都章を使ったものが多い。東京都章は昭和18年11月2日付で告示されているが、前身である東京市の市章をそのまま受け継いでいる。従って東京市時代の蓋との厳密な区別は難しいが、蓋の呼称や字体、右書きか左書きかなどで設置時期を推測することは可能である。この項目には東京市時代のものと思われる蓋も掲載している。
蓋の種類と系譜
阻水弇小蓋
「阻水弇」(そすいえん)という呼称は、現在路上で見られる小型の蓋の呼称としては最も古く、マンホールのふた 日本篇によると昭和11年の仕様書には既に「制水弁」と記載されているとのことだ。ただしマンホールのふた 日本篇では、「弁」と「弇」とを区別せず、「弇」を「弁」の旧字体、或いは異字体として扱っているように見受けられる。実際は「弇」は"覆う"という意味を持った別の漢字であり、「弁」の旧字体は「辨」・「瓣」という表記であった(※)。従って、昭和11年の仕様書での呼称は正確には「制水弇」だったのではないかと思われる。 なお本郷の蓋は東大安田講堂裏にあり、建物に付随する水道設備と思われる。同講堂は1925(大正14)年竣工であり、この蓋はその時期に設置されたものかもしれない。 ※他に「辯」や「辮」、さらに"冠"の意味を持つ「弁」という字自体も現在の「弁」という字の先祖(旧字)にあたるが、水流を調節するという意味は持たないので、蓋にこれらの文字は使われなかったはずである。
制水弇小蓋
「制水弇」と書かれた蓋には、右書きのものと左書きのものとの2種類が存在する。さらに、同じ構成の蓋でも紋章の大きさや文字の形など細かな違いも見られる。一般に、文章の左書きは戦前の1940年頃には既に浸透しつつあったとのことなので、左書きだから戦後のものだという推測は間違いである。
制水瓣小蓋
東京市章(東京都章)は入っていない。
排水弇小蓋
右書き縁鉄付きの排水弇小蓋。
コンクリート製小蓋
非常に数は少ないが、都章の入ったコンクリート製の蓋も存在する。下水道用鉄筋コンクリート製の蓋が昭和7年に森 勝吉によって考案され、戦中の鉄不足の際に普及が進んだという状況を考えると、この蓋も戦中に製作されたものではないかと推測される。
制水弁小蓋(旧タイプ)
「阻水弇」、「制水弇」と同じデザインで「制水弁」と表記された蓋も存在する。新字体が一般に普及し始めたのは1950年代以降とのことなので、この蓋の設置は戦後であると推測されるが、「制水弇」の蓋よりもその数は少ない。
制水弁・給水栓など現行タイプの小蓋
排水弁小蓋
四角い形状の排水弁小蓋。
その他の小蓋
分類が難しいものや汎用の製品など。
防火水道
「防火水道」と書かれた蓋。
自記量水器
「東京市制概要」(昭和十一年版)に、土木事業の河川の維持管理業務の一つとして
「河川水位変化の調査の目的を以て明石町外十五箇所に自記量水器を設置し、一週間に一回宛、之を巡観し量水記録紙の交換 機械の点検等を行い、又現場より蒐集せる記録は之整理の上日別表、月別表、年別表等の調製を行っている。」といった記述がある。
その他の蓋
(後日分類予定)
関連項目
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