東京都下水道局
沿革
- 1908年(明治41年)4月 東京市下水道設計を告示[1]
- 1909年(明治42年)11月 下水道施設調査委員会を設置[1]
- 1911年(明治44年)6月30日 東京市役所に下水改良事務所を設置[2]
- 1911年(明治44年)10月26日 徽章(下水君)告示
- 1914年(大正3年)12月24日 東京市臨時下水改良課[2]
- 1921年(大正10年)5月30日 東京市下水課[2]
- 1921年(大正10年)12月 東京市下水道条例制定[3]
- 1926年(大正15年)12月6日 東京市土木局下水課[2]
- 1929年(昭和4年)4月20日 ファイル:下水道設計標準圖(昭和4年).pdf 下水道設計標準圖発行
- 1933年(昭和8年) 東京市下水道設計を計画変更、さらに設計変更[1]
- 1936年(昭和11年)4月1日 東京市水道局下水課[2]
- 1943年(昭和18年)7月1日 東京都水道局下水課
- 1950年(昭和25年)7月 旧市域と旧郊外の計画を統合した「東京特別都市計画下水道」を決定[1]
- 1952年(昭和27年)11月1日 東京都水道局下水部[2]
- 1959年(昭和34年)12月1日 東京都下水道本部[2]
- 1962年(昭和37年)4月1日 東京都下水道局[2]
- 1969年(昭和44年) 下水道設計の設計変更[4]
- 1991年(平成3年)10月 マンホール新デザイン(桜模様)決定[1]
- 2001年(平成13年)3月 下水道管の敷設年度と蓋の所在地を特定できる新型標準マンホール蓋の設置開始[1]
蓋の種類と系譜
初期旧紋章の蓋(東京市時代の物も含む可能性あり)
鉄筋コンクリート+人工縁塊
後期旧紋章の蓋
桜紋の蓋
桜デザインの蓋(番号なし)
桜デザインの蓋(番号あり)
都紋章の蓋
設置場所
新宿区弁天町
東京都新宿区弁天町、外苑東通り西側に並行する細道に燈孔蓋Aが3枚存在する。かつては4枚存在したが1枚が撤去された。
<googlemap version="0.9" lat="35.702223" lon="139.726578" zoom="16" scale="yes"> 35.700995,139.726331 35.701321,139.726261 35.703666,139.726285 </googlemap>
確認記録 |
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文京区千石
文京区千石1丁目に燈孔蓋Aが1枚存在する。 <googlemap version="0.9" lat="35.725837" lon="139.745434" zoom="17" scale="yes"> 35.725986,139.74505 </googlemap>
確認記録 |
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港区白金
港区白金6丁目に燈孔蓋Aが2枚、燈孔蓋Bが4枚と、人孔縁塊のついた大きな初期旧紋章鉄蓋(大)が存在する。 <googlemap version="0.9" lat="35.643516" lon="139.721758" zoom="18" scale="yes"> (B)35.643246,139.721192 (B)35.643352,139.721356 (B)35.64357,139.72157 (A)35.643695,139.721809 (A)35.643808,139.721967 (B)35.643858,139.722351 </googlemap>
確認記録 |
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台東区竜泉2丁目
台東区竜泉2丁目の三ノ輪交番前に燈孔蓋Aが1枚存在する。 <googlemap version="0.9" lat="35.728982" lon="139.790822" zoom="17"> 35.728381, 139.7905 </googlemap>
確認記録 |
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展示場所
蔵前水の館
蔵前水の館に新タイプの彩色された蓋が展示されている。
虹の下水道館
虹の下水道館に旧タイプ(東京市型)の蓋と新タイプの蓋が展示されている。新タイプのものは実際に路上に設置されているものと細部が微妙に異なっており(下部に汚水の「お」の字が入っているが、実際に路上で見かけるものは「おすい」の表記)、プロトタイプの蓋なのかもしれない。
関連項目
脚注
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