「王子町」の版間の差分

出典: 路上文化遺産データベース
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*2011年5月6日 Bの蓋を発見。紋章部分はA同様。([[利用者:Rzeka_52]])
*2011年5月6日 Bの蓋を発見。紋章部分はA同様。([[利用者:Rzeka_52]])
*2011年11月28日 Aの蓋とCの蓋の計3枚が撤去されていることを確認。(([[利用者:国鉄型すとーかー]])
*2011年11月28日 Aの蓋とCの蓋の計3枚が撤去されていることを確認。(([[利用者:国鉄型すとーかー]])
*2017年11月4日 Bの蓋の撤去と、残る3枚の現存を確認([[利用者:Rzeka_52]])
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2017年11月4日 (土) 18:39時点における版

王子町
おうじまち
王子町1a.jpg
「下水」の意匠に囲まれた王子町紋章
{{{画像}}}
英語名 {{{英語名}}}
略称 {{{略称}}}
設立 1908年(明治41年)8月8日
廃止 1932年(昭和7年)10月1日
現在の該当地域 東京都北区中部
現在の該当団体
(テンプレート)

王子町はかつて東京府に存在した町で、現在の東京都北区の中部にあたる位置にあった。1932年(昭和7年)には東京市に編入されている。


概要

下水道の起工は昭和3年なので、王子町の紋章が入った下水道用の蓋の設置時期は昭和前半ということになる。マンホールのふた 日本篇によると、直径645mmの蓋が多く、稀に直径815mmの蓋もあったとのことだが、2010年12月現在では丸い蓋は直径645mmのものが20枚程確認されているのみである。他に角蓋2枚も確認されている。 なお、下水道の起工時(昭和3年)は王子町だが、竣工時(昭和17年)には王子區王子町になっている。


設置場所

同年代に存在した他の自治体に比べると比較的多数の蓋が現存している。 <googlemap version="0.9" lat="35.758354" lon="139.735107" zoom="14" scale="yes"> (K) 35.755143, 139.730086 角蓋 (K) 35.755268, 139.730121 確認不可能な角蓋 35.755005, 139.730031 35.7553, 139.730127 35.755001, 139.730278 35.755401, 139.730149 35.755276, 139.730815 35.755448, 139.731331 35.755677, 139.731339 35.755626, 139.731248 35.755349, 139.730137 35.754994, 139.730541 35.755364, 139.731069 35.763046, 139.720087 35.76238, 139.72238 35.762448, 139.722657 35.754079, 139.748127 35.758854, 139.743749 35.730963, 139.793403 </googlemap>


王子本町2丁目

ここには丸蓋11枚、角蓋2枚(うち1枚は確認不能)と、多くの蓋が残っている。


<googlemap version="0.9" lat="35.755328" lon="139.730778" zoom="18" scale="yes"> (K) 35.755143, 139.730086 角蓋 (K) 35.755268, 139.730121 確認不可能な角蓋 35.755005, 139.730031 35.7553, 139.730127 35.755001, 139.730278 35.755401, 139.730149 35.755276, 139.730815 35.755448, 139.731331 35.755677, 139.731339 35.755626, 139.731248 35.755349, 139.730137 35.754994, 139.730541 35.755364, 139.731069 </googlemap>

角蓋

保存状態は悪いが、角蓋が2枚確認されている。ただし、そのうちの1枚は民家の塀の下敷きになっており、確認することは不可能。 上記の地図では「K」の文字で区別している。


確認記録


丸蓋

丸蓋は民家の隙間を抜けるような非常に細い路地を中心に11枚設置されている。


確認記録
  • 2008年10月発行のG&U Vol.3に同一の蓋が掲載されている
    • ここでは11枚の蓋を見つけたとの記述
  • 2010年10月24日 11枚残存していることを確認(駅からマンホール)

中十条1丁目

撤去された燈孔蓋の跡

ここには比較的最近まで燈孔蓋が2枚存在したらしいが、2010年10月には少なくともひとつが撤去されたことを確認している。残りの1枚も撤去されてしまった可能性が高い。


<googlemap version="0.9" lat="35.758841" lon="139.728622" zoom="18" scale="yes"> (R) 35.758946, 139.728418 撤去済み </googlemap>


確認記録
  • 2008年10月発行のG&U Vol.3に掲載されている
    • 燈孔蓋2枚を見つけたとの記述と、燈孔蓋及び周辺の風景の写真が掲載されている
  • 2010年10月24日 G&U Vol.3に掲載されていた燈孔蓋の位置を見つけたが、撤去されていたことを確認 (駅からマンホール)


十条周辺

2010年時点では7枚が確認されていたが、2011年9月ごろ管渠再構築工事により地図上Aの蓋とCの蓋の計3枚が撤去された。 <googlemap version="0.9" lat="35.76302" lon="139.723177" zoom="16" scale="yes"> 35.763046, 139.720087 35.76238, 139.72238 35.762448, 139.722657 (A) 35.763571, 139.722933 (C)35.764626, 139.722579 (C)35.764372, 139.722552 (B) 35.761976, 139.721632 </googlemap>


確認記録

堀船3丁目

G&U Vol.3にはこの区域に2枚残っているとの記述があるが、2010年12月に確認した際は1枚のみ確認できた。同じくG&U Vol.3には、ここに残る蓋の紋章は他のものと異なり、より古いものかもしれないとの記述がある。



<googlemap version="0.9" lat="35.754044" lon="139.748368" zoom="16" scale="yes"> (A) 35.754079, 139.748127 (B) 35.754071, 139.748561 </googlemap>

現存する蓋

地図上Aで表示


撤去されたと思われる蓋

地図上Bで表示


確認記録
  • 2008年10月発行のG&U Vol.3に掲載されている
    • この区域で2枚見つけたとの記述がある
  • 2010年12月11日 1枚残存していることを確認(駅からマンホール)
  • 2011年06月20日 Twitterでの会話により、もう一枚の蓋は撤去された可能性が高いことが判明する
  • 2011年06月12日 A地点の蓋の残存を確認。B地点は見掛けず。(夢の入口で)

豊島2丁目

1枚残っていたが、2011年11月5日に撤去されている。(http://twitter.com/#!/KMB_oji/status/139603344451842048)


<googlemap version="0.9" lat="35.758806" lon="139.74383" zoom="18" scale="yes"> 35.758854, 139.743749 </googlemap>


確認記録

王子駅近くの明治通り歩道上

2008年10月発行のG&U Vol.3に、「JR王子駅近くの明治通り歩道上に、王子町の鉄ふたで唯一縁石つきのものを含め5枚見つけた」との記述がある。

位置情報が曖昧です この項目の位置情報は曖昧なので、探索の参考になる可能性はありますが、実際に探し出すには不十分です。位置情報を加筆、訂正して下さる協力者を求めています。


荒川区南千住2-4

王子町外に越境して設置されている。 線路沿いの道、行止まりにある東京メトロの緊急資材置場の前。

<googlemap version="0.9" lat="35.731307" lon="139.793032" zoom="17"> 35.730963, 139.793403 </googlemap>


確認記録

沿革

  • 1889年(明治22年)5月1日:市制町村制により王子村発足
  • 1908年(明治41年)8月8日:町制に移行し、王子町となる
  • 1928年(昭和3年):下水道起工(マンホールのふた 日本篇 p.57 より)
  • 1932年(昭和7年)10月1日 東京市に編入され、岩淵町とともに王子區となる
  • 1942年(昭和17年):下水道竣工(マンホールのふた 日本篇 p.57 より)


関連項目


外部リンク