「尾久町」の版間の差分

出典: 路上文化遺産データベース
ナビゲーションに移動 検索に移動
(西尾久2-31 撤去追記)
1行目: 1行目:
==設置場所==
==設置場所==
===西尾久1丁目===
===西尾久1丁目===
西尾久1-25、大久保ビル脇にある小さな寺の境内に角蓋が1枚残っている。近くにもう1枚あったという情報もあり。
西尾久1-25、大久保ビル脇にある小さな寺の境内に角蓋が1枚残っている。寺近くの私道?にもう1枚ある。


<gallery perrow="3" widths="140">
<gallery perrow="3" widths="140">
8行目: 8行目:
ファイル:尾久町角蓋風景.JPG|周辺の風景
ファイル:尾久町角蓋風景.JPG|周辺の風景
</gallery>
</gallery>
{| class="wikitable mw-collapsible mw-collapsed"
!align="left" width="700"|確認記録
|-
|
*2011年9月6日 1枚めの現存確認([[利用者:Rzeka_52]])
*2013年10月14日 2枚めの現存確認([[利用者:Rzeka_52]])
|}




===西尾久2丁目(撤去済)===
===西尾久2丁目(撤去済)===
西尾久2-30/31の路地に西尾久1と同様式の角蓋が1枚現存。西尾久1の項の「近くにもう1枚」とはこれのことか?
西尾久2-30/31の路地に西尾久1と同様式の角蓋が1枚残っていたが現存しない。


<gallery perrow="2" widths="140">
<gallery perrow="2" widths="140">
48行目: 56行目:
===尾久宮前小学校===
===尾久宮前小学校===
小学校敷地内に1枚残っているという噂あり。
小学校敷地内に1枚残っているという噂あり。
(但し、下記の公園に展示されている蓋は、「八幡堀プロムナード」として尾久宮前小学校の卒業作品と一体となっている。
これを混同し、宮前小学校内に現存するという噂が生じた可能性も有り得るかと思う。[[利用者:Rzeka_52]])


==展示場所==
==展示場所==

2013年10月14日 (月) 17:26時点における版

設置場所

西尾久1丁目

西尾久1-25、大久保ビル脇にある小さな寺の境内に角蓋が1枚残っている。寺近くの私道?にもう1枚ある。

確認記録


西尾久2丁目(撤去済)

西尾久2-30/31の路地に西尾久1と同様式の角蓋が1枚残っていたが現存しない。

確認記録
  • 林丈二「マンホールのふた 日本篇」(サイエンティスト社、1984)のp.56に同じ蓋の写真が載っている
  • 2011年9月6日 現存確認(利用者:Rzeka_52)
  • 2012年4月7日 撤去を確認 (利用者:国鉄型すとーかー)


尾久宮前小学校

小学校敷地内に1枚残っているという噂あり。

(但し、下記の公園に展示されている蓋は、「八幡堀プロムナード」として尾久宮前小学校の卒業作品と一体となっている。 これを混同し、宮前小学校内に現存するという噂が生じた可能性も有り得るかと思う。利用者:Rzeka_52)

展示場所

八幡児童遊園

西尾久2-5-9

蔵前水の館

執筆の途中です この項目「尾久町」は、調べものの参考にはなる可能性がありますが、まだ書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。