「代々幡町」の版間の差分

出典: 路上文化遺産データベース
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(沿革まとめ中。一旦保存)
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当初は他の豊多摩郡内町村と同様に[[荒玉水道町村組合]]の発足に関わったが、大正13年に町会が組合参加を否決し、単独での敷設が進められることとなった。
当初は他の豊多摩郡内町村と同様に[[荒玉水道町村組合]]の発足に関わったが、大正13年に町会が組合参加を否決し、単独での敷設が進められることとなった。
水源に関しては当初東京市や渋谷町からの購入も検討されたが、町内外7ヶ所での鑿井によるものと決まった。給水本管は甲州街道に敷設された。
水源に関しては当初東京市や渋谷町からの購入も検討されたが、町内外7ヶ所での鑿井によるものと決まった。給水本管は甲州街道に敷設された。
昭和4年に試験鑿井に着手後、申請と認可を経て昭和6年に着工となる。
昭和4年に試験鑿井に着手後、申請と認可を経て昭和6年に着工となる。東京市水道に併合された昭和7年時点の給水戸数は1500余であった。
 


==設置場所==
==設置場所==

2012年3月22日 (木) 19:57時点における版

代々幡町
よよはたまち
代々幡町紋章
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英語名 {{{英語名}}}
略称 {{{略称}}}
設立 1889年
廃止 1932年(昭和7年)10月1日
現在の該当地域
現在の該当団体 東京都渋谷区の一部
町章は水道章である可能性もある
(テンプレート)


東京府豊多摩郡代々幡町は昭和7年に東京市渋谷区となるまで町営水道を営んだ。 当初は他の豊多摩郡内町村と同様に荒玉水道町村組合の発足に関わったが、大正13年に町会が組合参加を否決し、単独での敷設が進められることとなった。 水源に関しては当初東京市や渋谷町からの購入も検討されたが、町内外7ヶ所での鑿井によるものと決まった。給水本管は甲州街道に敷設された。 昭和4年に試験鑿井に着手後、申請と認可を経て昭和6年に着工となる。東京市水道に併合された昭和7年時点の給水戸数は1500余であった。

設置場所

目黒区大橋(本来の給水区域外)に残っている。


<googlemap version="0.9" lat="35.654267" lon="139.68403" zoom="19"> 35.654295, 139.68403 制水エン </googlemap>



関連項目


参考文献

代々幡町水道小誌(Googleブックス)


外部リンク


執筆の途中です この項目「代々幡町」は、調べものの参考にはなる可能性がありますが、まだ書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。