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中島 鋭治(なかじま えいじ、1858年10月12日 - 1925年2月17日)は、近代水道の父・近代衛生工学の父などと呼ばれる人物で、[[東京市型]]の鉄蓋地紋の考案者として有名。[[東京帝國大學]]名誉教授。工学博士。
[[画像:人孔縁塊付き鉄蓋.jpg|thumb|東京市型地紋の蓋]]
 
中島 鋭治(なかじま えいじ、1858年10月12日 - 1925年2月17日)は、近代水道の父・近代衛生工学の父などと呼ばれる人物。鉄蓋の[[東京市型]]地紋の考案者とされるが、正確には地紋が考案された時期に下水道設計の責任者([[東京市]]技師長)だったという事実がわかっているのみで、実際に考案者なのかどうかは不明である。
 
[[東京帝國大學]]名誉教授。工学博士。


==履歴==
==履歴==
*1858年 仙台市支倉通りに生れる
*1858年 仙台市支倉通りに生れる
*1983年 東京大學理学部土木工学科卒業
*1883年 [[東京大學]]理學部工學科(土木工學)卒業
*1886年 工科大學助教授
*1886年 [[帝國大學]]工科大學助教授
*1891年 東京市水道技師
*1891年 [[東京市]]水道技師
*1893年 東京市水道工務掛長
*1893年 [[東京市]]水道工務掛長
*1896年 [[東京帝國大學]]工科大学教授
*1896年 [[東京帝國大學]]工科大學教授
*1898年 東京市技師長
*1898年 [[東京市]]技師長
*1919年 勲二等瑞宝章
*1919年 勲二等瑞宝章
*1921年 叙正三位
*1921年 叙正三位

2011年8月25日 (木) 14:32時点における最新版

東京市型地紋の蓋

中島 鋭治(なかじま えいじ、1858年10月12日 - 1925年2月17日)は、近代水道の父・近代衛生工学の父などと呼ばれる人物。鉄蓋の東京市型地紋の考案者とされるが、正確には地紋が考案された時期に下水道設計の責任者(東京市技師長)だったという事実がわかっているのみで、実際に考案者なのかどうかは不明である。

東京帝國大學名誉教授。工学博士。

履歴

外部リンク

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