三田 善太郎
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三田 善太郎(みた ぜんたろう、1855年 - 1929年)は、日本人で初めて近代下水道・上水道を設計したとされる人物。「Manhole」を「人孔」と訳名した人物ともされる。
履歴
- 1855(安政2)年 下野国茂木に生れる
- 1878(明治11)年 東京大學理學部土木工學科(土木工學)卒業(第一回卒業生、入学時は大學南校だったので第一期生とは呼ばないらしいが諸説あり)
- 1879(明治12)年 神奈川縣土木課(御用掛)
- 1887(明治20)年 ヘンリー・スペンサー・パーマーの後を継いで工師長になる
- 1892(明治25)年 パーマーの後を継いで技師長になる
- 1908(明治41)年 新潟縣新潟市工事長
- 1918(大正7)年 愛媛縣宇和島市で水源その他の実地調査
外部リンク
- 横浜港物語(CE/建設業界:社団法人 日本土木工業協会【土工協】)
- 外国人居留地の下水道整備(横浜市環境創造局)
- 下水道用マンホールふたの歴史(日本グラウンドマンホール工業会)
この項目「三田 善太郎」は、調べものの参考にはなる可能性がありますが、まだ書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。 |