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茂庭 忠次郎(もにわ ちゅうじろう、1880年 - 1950年)は、明治後期から昭和初期にかけて下水道の設計・普及を進めた人物。[[名古屋市型]]地紋の考案者。日本大學工学部長。工学博士。 | 茂庭 忠次郎(もにわ ちゅうじろう、1880年 - 1950年)は、明治後期から昭和初期にかけて下水道の設計・普及を進めた人物。[[名古屋市型]]地紋の考案者。日本大學工学部長。工学博士。 | ||
2011年1月19日 (水) 18:25時点における版
茂庭 忠次郎(もにわ ちゅうじろう、1880年 - 1950年)は、明治後期から昭和初期にかけて下水道の設計・普及を進めた人物。名古屋市型地紋の考案者。日本大學工学部長。工学博士。
履歴
- 1880年 仙台に生まれる
- 1904年 東京帝國大學卒業
- 1904年 東京市下水道設計調査主任(このとき中島 鋭治が東京市技師長)
- 1907年 名古屋市水道技師
- 1914年 下水道敷設事務所長
- 1918年 内務省土木局
- 1939年 日本大學工学部長
外部リンク
- シビル メール ニュース(PDFファイル、日本大学理工学部土木工学科)
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